英語が好きなSREエンジニアの独り言

I chased and chased after him and never found what I was looking for. But why is it that now I feel like I've finally found him?

ここ数年の振り返り

怪人・蛙男さんのこのブログが好きで、頻繁に読み返す。 www.engineer-log.com

すっかりインスパイアされてしまい、私も振り返りブログを書きたくなった。

また先日しがないラジオに出演させて頂き、これまでのキャリアを話したこともあり、 音声だけでなく文章でも残したくなった為、ここに残す。


私のエンジニアとしてのキャリアは主に3章構成で、約7年間の活動がある。

  • 2014年4月~ 入社
  • 2020年3月~ 退職
  • 2021年4月~ 転職

2014年に大学(英語専攻)を卒業して、ユーザ系SIerに入社するところから始まり、現在は某Web系企業でSREエンジニアとして働いており、これまでを振り返りたいと思う。

何故新卒から6年務めた会社を退職したのか?

2020年3月に退職しました。他にやりたいことが出来たというありがちな理由です。

前職はISP/MSP/DC/SI事業をやっている総合商社を母体としたユーザ系で、本当に色々なことを学ばせてもらいました。 外国語学部卒の文系未経験だった私を、理系採用で採って頂き、全く情報処理の知識が無い私を育ててくださり今でも感謝の気持ちで一杯です。

しかし、思い返せば入社前にイメージしていたSEとしての仕事内容と入社後の実際は大分異なる内容でした。 この辺のくだりは、冒頭に掲載させて頂いた怪人蛙男さんのブログ記事であったり、しながいラジオのゲストの方達のエピソード、ひいては『完全SIer脱出マニュアル』の著者が考えた、エンジニアがSIerを去る3つの理由 - #がみぶろ等、そのまんまでの内容の為、割愛したいと思います。

簡単に言うと、いわゆるSIerの多重請負の業界構造はエンジニアにとって辛いことが多く、人月商売のビジネスモデルがオワコン的な趣旨のことになります。

私もその例外ではなく、プライム案件の上流工程を担当していたので、"自分は手を動かさず、人を動かす"。 管理メインのエクセルパワポエンジニアRoleで、実装や中身の分からない人たちが集まる会議で空中戦を制す能力が磨かれる業務内容でした。

あとは、受託でのシステム開発(Waterfall)において、企業様への初回の訪問から検収までPRJ全体に関わり、納品の際、確かに要件に沿ったシステムが出来上がったが、バグだらけだったり、実運用に載せられない事情があったり等、なんとも重たい空気の打ち合わせを、なんとか着地させ、それで且つちゃっかり検収印は貰えるようリードさせるテクニックは身についた気がします。受託って何で上手くいかないんでしょうね...

ただ技術Stack的なところで言えば、入社当初は、WindowsServer 2003 / VB 2005 / Oracle 10gというレガシーな状況から、 辞令により異動した先では、自然言語処理をかじらせてもらったり、ソリューションアーキテクトとして、AWSのプリセー・導入支援やAmazon Alexaの日本上陸に伴い国内への布教活動など、Amazon JapanやAWSJと仲良くさせて頂き、大きな経験を積ませて頂くことが出来ました。

そして良くも悪くも、reInvent2019に参加したことで、自分のキャリアを見つめ直すことになります。

終わりの始まり

reInventについて簡単に説明しますと、AWSが年に1度、世界中のAWSユーザを集めてラスベガスで開くConferenceになります。 一番の大きな目玉は新サービスや機能の発表が、ベゾスなのか、ワーナーなのか、いわゆるBig nameからAnnounceがあります。 それ以外は基本的にセッション・ワークショップ・展示会となります。

ワクワクしながら参加して、本当に楽しかったのですが、私に3つのショッキングな出来事を与えてきました。

まず最初に、私の英語が通じない。びっくりするくらい通じなくて落ち込みました。初めてのアメリカで、慣れてないのもありましたが、 大学では英語をやってきて(本当に真面目にやっておらず、満足な成績を収めず卒業しましたが)、ある程度外国人とCommunicaitonを取れると思っておりましたが、上手くいきませんでした。 日本にいる外国人は日本に関心があれば、ジャパングリッシュにも慣れていて、今までがいかに優しい環境に居たのか思い知らされました。

2つ目は、自分のビジネスが通じなかったことです。"SIは日本独特なガラパコス文化で、海外では日本ほど市場規模は大きくない"という話を耳にしたことがある人も多いと思います。 これは決してニュースの見出しの世界だけではないと痛感しました。展示会では、いわゆるBIG4的な、グローバルなコンサル会社さんもいらっしゃいましたが本当に有名な企業に限った話であり、AWSをベースとしたソフトウェアを開発している大手SaaSプロバイダが花形で、あからさまに、"受託でシステム開発を請負います!"や、"保守・運用丸投げOK! お任せ下さい!"といった事業者は見かけませんでした。 IoTやBlockchainなど専門性の高い部分においては、specialistが受託で請負います的なのはありましたが、要望があるなら・・・といった見せ方でごく少数だったと思います。 国内の、例えばAWS SummitのようなCIerが幅を利かせてる感じとは随分勝手が違いました。

現地では、行列に並んでるときなど待ち時間の際、話しかけてくれる人も多かったです(アメリカですので)。そこである欧米人と雑談していたとき、SIガラパコスの独特な文化と展示会の感想を話してみましたが、イメージが沸かないのか、あまり理解されませんでした。自分のやっているSIという仕事はこれから国内でも内製化やDXが加速していくに連れて、本当に終わる日が来るのではないか?と痛感しました。 ※通じないのは、僕の英語力の問題も勿論あったのですが、思い返せばこのとき、日本の終身雇用モデルの文化など背景となる知識を伝えていれば良かったと思いました。

そして最後の1つですが、2つ目に関連しており、自分がエンジニアとして認められなかった事です。同じ欧米人に言われたセリフなのですが、「君、本当にエンジニアなの?」と言われました。自分がエクセルパワポエンジニアとして日々過ごしていることや、CSの学位を持っていないことなど伝えたときのことでした。

自分の仕事って本当にエンジニアなんだろうか。SIerというビジネスモデルの世界に身をおいて、就労中にプログラムもほとんど書いたことが無く、自分は手を動かさずに人を動かすという今の働き方に本当に疑問を感じた出来事でした。

退職願提出

reInventが終わり、帰国したのが2019年12月上旬。年末の仕事納めに向けて、大忙しでした。そして正月休みに入ったところで、自分のこれからを見直しました。大学時代、英語を専攻していたが、真面目に授業を受けておらず、結局納得いく成績を納めることなく、卒業してしまい、通用せず今もコンプレックスに感じていること。 そして、SIerというビジネスモデルに嫌気がさしていること、自分は本当にエンジニアなのか疑問に感じていること。やりたいこと/やりたくないことを整理した結果、来年からはエクセルパワポエンジニア街道に終止符を打つことを決めて、そして今後は胸を張ってエンジニアを名乗れるよう、私もホンモノのエンジニアを目指すことにしたのです。

正月休み明けの出勤から、早速、水面下で退職に向けて抱えている業務の整理を進めました。退職願を伝えたのは、2月上旬、Covid-19が都内で発生する少し前の時期だったことを覚えております。 当時、糖尿病か心臓病のある人は重症化リスクが高い為、気をつけるようアナウンスがあったと思いますが(いつからか分かりませんが、今では基礎疾患のある人間は要注意という形で当時に比べて多少はlightに扱われてますね)、私は当該者の為、いずれにせよ都内で通勤して勤務するのは難しい状況になりました(※目黒区在住で職場は浜松町でした)

詳細は割愛しますが、健康的な事情もあり、2020/3/31が最終出社日(フルリモ) 5/31退職という形で前職を退職しました。

無職時代(2020 春〜夏)

これまでの流れで、ホンモノのエンジニアになりたくて、つまり、これ以上SIerでビジネスマンとしてのキャリアは継続出来ず、無職になったという経緯は伝えられたかと思います。ここからは無職になってからの経緯、厳密には有給消化が始まった4月1日からの話をしたいと思います。

海外でも胸を張ってsoftware engineerを名乗ろう、そしていつの日か、またネヴァダ(ラスベガス)の土を踏んで、reInventで世界中のAWSユーザと対話するんだ。そんな目標がありました。 その目標を進めていく中で、やっぱりCSの学位があることは非常に大きなAdvantageとなると考えました。

従って、無職になってからのまず一番大きな関心ごとは学位を取得するかどうかでした。 CS関連の学位が取れる社会人大学というと、電通大/産能大/帝京大がメジャーかと思います。調べたところ国内ではこれ以上に様々な選択肢がありましたが、コロナ禍において私は健康的な事情から行動に制限がある為、とても入学に踏み切れるものではありませんでした。 (※社会人大学にこだわっていたのは、いつまで無職を続けるか分からないものの、コロナ事情の様子見をしつつ、いずれはweb系企業かどこか、手を動かせる環境に身を置いて働くつもりだった為です)

そんなわけで、当時住んでいた目黒区のマンションを引き払い、実家に帰り、暫く世の中のコロナ情勢を様子見つつ、1日の大半は英語の学習に費やし、アプリの実装をしたり、今まで仕事で手を動かせなかった分を返済すべく開発作業に励んでました。

そしてある日、転機が訪れます。季節も夏になり、9月に近づくにつれ、アメリカの大学に進学/留学する予定だった学生達が渡航出来ず、オンラインで講義を受けていることをニュースで知りました。そのとき正月に自分が、海外の語学/エンジニア留学について調べており、英語圏の主要国の留学エージェントにも何社か声をかけて新たな道を模索していたことを思い出しました。 ただ学位が取れる留学プランを探すと、4年生大学への入学が必須(当たり前ですが)で、4年間海外で学生やることはpowerのかかる話だと感じ当時はあまり掘り下げず諦めていました。 その中にて、一部の大学は、国内で例えるならば放送大学等と同じ雰囲気で、通信制の社会人大学があり、働きながらCSの学位が取れる学校もあることも知っておりましたが、これも自分の英語力を理由に現実的ではないと考え、当時はスルーしてました。

しかし、改めて考えたとき、自分にはこの選択肢しかないのではないか?と考えるようになったのです。この夏の暑い中、世間はGoToなんちゃらとかcampaignをやっており、経済を優先している。その一方、自分は以前として引きこもり。行動が制限されている状況で、いつになったら今の状態を抜け出せるのか分からない。 そんな状況で、英語を使う環境に身を置きながら、エンジニアリングをして、CSの学位を取得する全ての目標を叶えるとしたら、この方法が一番最適解であり、挑戦すべきではないかと考えるようになりました。幸い、大学を卒業してからすっかり忘れてしまった英語力も日々の勉強で少しずつ取り戻した感覚がありました。

University of the Peopleへ(2020年 秋~)

調査した結果、フルリモートでpart-time studentとして入学できる大学は幸いいくつかあり、米国カリフォルニア州にあるUniversity of the peopleへの入学を決めました。 理由は学費が安かったことや、学長が掲げる崇高な理念に惹かれたこと、そして、入学にあたり求められる英語力がIELTS6.0以上など、当時の私でも付いていけそうだと判断したからです。

また本大学は"全ての人に教育を" という理念のもと、英語力を証明出来ない人に向けた、英語授業があり、入学前に聴講生として受講することが可能です。この講義で試験に合格すると、無事入学条件の一つである英語力が証明されるというものでした。 今の自分が本当に通用するのか実際の授業をベースとして、試せるのがありがたく、11月より授業に参加することになりました。

講義が終わったのは翌年1月中旬。問題なく最終試験を突破し、自分の英語力にも少しだけ自信が付きました。そうこうして、後は高校卒業証明書を大学に提出すれば、無事入学というところで、一つの疑問が浮かびました。

「俺、本当に大学入学して良いのだっけ?」という疑問です。丁度、1月というところで、最初に退職を決意したときから1年経過してることに気付きました。世間は相変わらずコロナ禍で、あまり状況は改善されてないように見えましたが、東京を脱出して、地方でフルリモート勤務の会社で働くという生き方をしている人もエンジニアに限らず、大分増えているという印象を持ちました。

この状況なら、私も就労できる環境が見つかるのでは?という考えと、そして実に8ヶ月間無職をしていたが、これ以上空白を開けることにも抵抗を感じました。何よりも、ここで大学生をやってしまったら、転職活動に影響が出るのでは?と感じました。※前職が古臭いお役所企業で、履歴書を気にするような文化でしたので、空白や、アメリカの大学生であることは余りにもイレギュラーすぎて、前職の影響からか、受け入れてもらえる会社は少ないのでは?と考えはじめました。

転職活動

そこで考えたSolution、それは高校卒業証明書を送り、正式に入学する前に転職活動を済ますことです。転職活動を始めました。どのように転職活動を始めたかというと、件のしがないラジオのsp. 98を視聴していただくと私が赤裸々に語っていますので、興味あれば是非(宣伝)!!

この場では簡単にお話すると、完全SIer脱出マニュアルを購入して、しがないラジオを聞いて、その結果、ある人に憧れて、SREエンジニアを目指すことを決めました。

いざ転職活動に向けて準備を開始したところ、転職エージェントからはSIerのエンプラ世界で上流の経験ばかりであることからあまり良いリアクションを貰えず(web系では評価されないという意)、始める前は若干ナーバスになってしまいましたが、いざ実際に始めて見るとスムーズに進めることが出来ました。

当時はWantedlyに登録して、railsチュートリアルを久々にやって、Qiitaでアカウント開設して、Twitterでつぶやいて・・・みたいなことを計画してましたが、最初にWantedlyに登録した時点で、幸い沢山の方からお声がけ頂き、スムーズにご縁が決まりました。 ※恐らくWantedlyには、アプリケーションエンジニアが多く、ISP/MSP/DC事業でNWやインフラ周りに経験があって、AWSを使ったクラウドネイティブなアプリにも多少は明るい人間というは珍しく、ニッチ需要として見てもらえたのかなと想像しております。また当方、仕事で手を動かせない分、ベンダー資格の取得にこれまで力を入れていた為、認定切れも含めたら10個以上は持っており、そういったところも評価されたのかと思います。

Web系SREエンジニアとなりまして

そんなわけで私が次のステージとして決めた会社は、weblioです。厳密には社名が今年代わりGRASグループ株式会社という会社に務めてます。

Wantedlyにてスカウトメールを頂いたときは大変驚きました。何故なら、外国語大時代も、そして無職期間の英語の勉強も、University of the Peopleでの英語授業でも、常にweblioの各種プロダクト(主に英語辞書)にはお世話になっていたからです。 オファー頂いた求人内容も、完全フルリモートで出社する必要が無く、オファー頂いたRoleもAWSファーストなSREエンジニアの求人でした。

weblioやGrammarly、DeepLは私にとって生活に欠かせないサービスで、実際にWeb系企業で手を動かして働くなら、大好きなプロダクトに従事したいと思っていたので、本当にありがたかったです。

実際に働いてみてどうなのかを話すと、理想通りweblioのプロダクトに従事し満足しており、まだ1年も働いてはいない身で恐縮ですが、大なり小なり貢献は出来ているのかと感じてます。会社の環境としては第二期創業期として、勢いがある良い時期で、現在社名が代わり、VPoEが就任し、組織が変わり、エンジニアチームは過去の負債(インターネット黎明期から続く古い会社なので、どうしてもレガシーな部分が残ってますね)返上に躍起になっており、これからというタイミングで良い緊張感もありました(今も続いてます)。

仕事に限らず、Privateでも、SREエンジニアを目指すきっかけとなった件の憧れの人から認めて貰い、またその人自身もSREになるきっかけになった人がいらっしゃり、その人からも親子孫関係として、交流させて頂き、一歩進むことが出来たと感じております。 また予定通り、UoPeople(大学)でも手続きを済ませ、現在も日々授業に躍起になって良い感じの自分が居ます。

どれだけの速さで生きたら、みんなに追いつけるのだろうかとか考えていましたが、きっかけは意外と突然。またチャンスというのも突然やってくるので、普段から素振りしている奴だけが、バットに当てられるのだと思いました。 ※この辺のSREエンジニアとして歩みだした諸々のキャリアの話は次回のエントリにてまた別で詳細を書きたいなと思ってます。乞うご期待!!

最後に

以上が前職・無職・転職の今までのキャリアのお話となります。 振り返りをしていたら、なんだか前職のことを思い出しました。

前職、尊敬していた人たちが沢山居て、新天地で働くようになってから頻繁に皆さんのことを思い出します。 最近になってどの人達にも共通点があることに気付きました。

それはどんな状況で誰と何をしても決して関わる人を責めない人達でした。

難しい案件であったり、気難しい人物や会社に関わることになっても、自分が出来ることをベストエフォートでやっていて私には眩しかったです。

「俺もあんな風になれたら良いなぁ」とか思いながら、結局最後まで仕事が出来る人間にはなれず退職しましたが、今の環境でこれからわずか数センチでも近づいて進んでいき、また私も人に良い影響を与える人間になる予定です。

おわり。